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波佐見焼 コンプラ瓶

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江戸時代後期に焼かれたコンプラ瓶。長崎商人の組合「金富良商社」が東インド会社(VOC)を介して輸出していた酒や醤油の容器で、肥前波佐見の三股・永尾・中尾地区の窯場がその製造を請け負っていた。

コンプラ瓶の正確な流通経路は未だ明らかになっておらず、輸出先の西欧や東南アジアの他、北海道での出土も目立ち、元々陶磁器を使用しないアイヌの遺跡からも出土している。各地の富裕層が中身を消費したコンプラ瓶は、実用品として更に拡散を続けたものと推測される。

注口の溝に紐が巻かれていたようで、その残滓が固着している。焼成時のフリモノを除き、状態は極めて良好。文字が印判でなく手書きで表されている初期のものは貴重である。

W9cm×H18cm
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